_j5g2547_dxo_dxo 写真展のレジメにこんなことが書いてありました。「たとえ写真が、いかに個の美学や観念の領域から写されたものであれ、本来的にあるいは終局的に無名性を帯びて、写真は、人類の歴史、世界の資料として存在しうる能力をもつ。」と書かれた一節がありました。(森山さんがそれをどんなスケールで考えているのかは、わかりませんが、)表現するものにとって、とても大切なものであるはずの個性も、最後には、そんな、我彼の小さな差などはまるで無いのといっしょで、人間の在り様にいかに深く届いたものだけが、無名性を帯びて、残っていくということなのでしょうか・・?いずれにしろ、撮り続けていくことでしか、何も見えてはこないのだろうと思います。しかし、森山さんは、70歳。どこまで走り続けて行くんでしょうか。 マーク3+TS24ミリで撮りました。